旧暦5月5日(2023年は6月22日)の「端午節(たんごせつ)」は、「春節(しゅんせつ)」「中秋節(ちゅうしゅうせつ)」と並ぶ中国三大伝統節句なのだそうです。この端午節に食べるお菓子が笹の葉に包んだ「ちまき」です。今日は、中国人スタッフが手作りした「ちまき」をスタッフみんなでいただきました。
日本と中国の「ちまき」同じ?違う?
日本でも、関西地方では5月5日の「端午の節句」に、笹の葉で細長く包んだ「ちまき」を食べる風習が残っていますよね。似ていますが、何がちがうのでしょうか?
端午の節句に、主に関西地方で食される「ちまき」はもち米を粉状にした「もち粉」でつくられる甘いお菓子で、食感はなめらかです。一方、今回スタッフがつくってきてくれた「ちまき」は、もち米のなかにナツメを包んで蒸したもので、もち米自体には味はついておらず、砂糖をつけて食べるのだそう。似て非なる「ちまき」ですが、笹の葉で包むことと甘いお菓子だという点は同じですね。
中国の端午節と日本の端午の節句の違い
日本の端午の節句は、中国の端午節が伝わったことを起源に日本独自の風習へと変わっていったところがありそうです。もともとの中国の端午節について調べてみました。
中国の端午節は、中国戦国時代の楚の政治家、詩人の屈原(くつげん、紀元前340年~278年)の供養祭から始まったと言われています。屈原は、秦の張儀の謀略を見抜き、踊らされようとする懐王を必死で説得したものの受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺したと言われている人物です。その愛国心や文学の才能を惜しむ声は多く、亡くなった日が5月5日だったと言われていることから、この日に供養祭が行われるようになったそうです。
「ちまき」を食す習慣は、屈原の供養のために亡くなった川に「ちまき」を投げ入れたから、あるいは、屈原の遺体が魚に食べられないように投げ入れたことが始まりだ、とも言われています。
中国の端午節は、屈原の供養祭から始まり現代では無病息災を願う行事として定着しているそうです。一方、日本では5月5日は子どもの成長を願う「子どもの日」として知られていています。
特に男の子がいる家庭では「鎧兜(よろいかぶと)」や「鯉のぼり」を飾り、関西地方では「ちまき」を、関東地方では「柏餅(かしわもち)」を食します。鎧兜を飾ったり鯉のぼりを飾ったりすることは、江戸時代頃に定着した風習だと言われていますが、中国から伝わった風習が、武家社会の影響を受けて変化していったのかもしれません。
おわりに
今回はスタッフが持ってきてくれた「ちまき」をきっかけに、中国と日本の似て非なる端午の行事について調べてみました。日本は海に囲われているものの、いろいろな国から訪れる人たちによって、いろいろな文化や風習を受け入れてきているのだなと改めて感じました。いろいろな影響を受けていること、長い時間をかけて変化していくことなど、考えてみると面白いですね。